Work In Progress Frozen mp3 Blog を日本語で

サイトマップ***English

*
Work In progress CD の音楽は、2009年に私達が始めた英語の音楽ブログに掲載する形で生まれた。 一曲ずつ録音・編集してはブログに掲載し続けて一年半、CDを十分満たす材料ができたので、ブログを留めることにした。

このページは、凍結した Work In Progress Frozen mp3 Blog をまねて、記事の要点を日本語で手短に述べ、記事に伴うmp3ファイルを聴いて頂けるようにしたものだ。 日本語で要約してある他にも、元のブログとは少し違う点が幾つかある。

一番大事な点は、編集し直して最終的にCDに収めた音楽から厳選したサンプルを聴けること。  私達の最も完成した音楽以外を聴いてもらう理由があるだろうか?

また、進行中のブログでは最新の記事が一番上にあったが、このページとFrozen mp3 Blog では日付の古いものから順に現れる。

最後に、ブログ記事を書いた時には無かったページへのリンクを加えた。

今流れている四重奏は、最初のブログ記事の為に録音したもので、数年振りの、しかも新しい機器を使った初めての録音だった。 その後20ヶ月に渡って、私達の音楽は成長し深みを増し、同時に歌の詞は、とうの昔にたどり着くべきだった、私達の人生に関わる重要な洞察の数々を巡りつつ、その核心へと近付いて行った。

だから、このページを下へスクロールする程、より進化した音楽が聴ける。 そこでは2年近くに及ぶ録音作業と、気を張り詰めてコンピューターに向かった、1000時間を超える編集作業の成果に出会えるだろう。

*

Heading Back Up the Mountain

2009年10月1日

2005年に二枚目のCD を発表した後、文無しになった私達は、日本語>英語の商業翻訳という長い回り道を4年近くも辿って窮地を抜け出すことに追われ、音楽をおろそかにせざるを得なかった。 楽器にはほこりが積もり、コンピューター画面で踊るのは、wave file ならぬ Microsoft Office。

ところが自分ではどうしようもない理由で、今や翻訳の仕事が皆無に近くなり、私達はまた金欠に直面している。 反面、クレジットカードの限度額が続く限りは、音楽に戻る時間が出来たとも言える。

そして、現在進行中の音楽を掲載する目的で始めたこのブログは、私達の新たな努力の最初の果実であり、“bbqq” はその最初の曲となった...
*

bbqq
bbqq サンプル
完全版のファイルを買う
*

2 quarti and shrinef“bbqq” はbowus-bowus、quartus-quartus の略で、この曲を録音するのに使った不思議な楽器四つを言う。

まず ボウアス楽器 のデュエットを録音し、録音した50分のファイルを30分位になるまで編集した後、四分音カリンバ 二台でオーバーダビングした。 全く経験の無い多重録音とオーバーダビングにいきなり挑戦し、四重奏(楽器毎にマイクが二本)を録音したのは欲張りだったかも知れない。 でも新しい機器の可能性を試したかったし、録音後、一つの楽器の音が大き過ぎたらそのトラックの一部だけ音量を下げたり、編集済みのファイルを失わずに何度でもオーバーダビングできるのは、「録音法」を学ぶより、試行錯誤を重ねて自分でやり方を見つける方が性に合う私達にはぴったりだった  ...

*
オリジナルのブログ記事(英語)へは、この Heading Back Up the Mountain リンクをクリック!

*

Dynasties Fall

2009年10月18日

Dynasties Fall は、自作の楽器を伴奏に言葉を歌って録音する、初めての試みだった。 その昔2001年に発表した最初のCD Huhnandhuhn に、ギターとインドのドラムの伴奏で録音した歌が二曲あったのは事実だが、普通にチューニングした楽器に合わせて歌うのと、今回の試みとは全く次元が違う...

Dynasties Fall
Dynasties Fall サンプル
完全版のファイルを買う

Dynasties Fall

枯葉さらさら砂利を渡り、     
風は冬の気配を連れて来る。

徳が尽きて、王朝は滅びる。

年を取ると、内なる矛盾が表に出る、
長らく放ったままの問題が膨らみ花開く。 
霜焼けた木の葉はひらひら舞い、    
水が凍って道に穴を開ける。          

徳が尽きて、王朝は滅びる。

またしても、働くことのない人達が
休暇から帰って来る
と、くるり踵を返し、口寂しさを紛らわしにお出かけ
他の誰かが作った食べ物を探しに。

徳が尽きて、王朝は滅びる。

楽過ぎる人生が成長を妨げて   
上に立つ者達は軽薄、軟弱、臆病、     
恩知らずの子供達には骨までしゃぶられ
それでも往生際が悪いと邪魔者扱い、   
片やまだ温かい屍から身ぐるみ剥ごうと、  
妻達は血まみれの手で踊る。

徳が尽きて、王朝は滅びる。

でもトップが腐敗に明け暮れる一方で 
底辺は精も根も尽き果てた、
そしてどちらを向いても、何もかも怖いほど同じ。

もう疑えない、やがて見を切る風が
ごうごう裸の枝々を駆け抜け、        
清らかな雪は静かに
全てを白く覆うだろう。   

徳が尽きて、王朝は滅びる。
徳が尽きて、王朝は滅びる.....

*
この歌の詞を書くには、二人で何週間も汗を流したが、ヴォーカル録音に備えて発声練習をしただけで、音楽に合わせて歌う練習は一切しなかった。 だから実際にマイクを手にするまで、何をする積りなのか、言葉と音楽をどう調和させるのか、自分でも全く見当が付かなかった。 二回録音した歌は、どちらも良かったが、新鮮で自由な感じが気に入って、一回目の録音を選んだ。

Dynasties Fall を歌うのに相応しい気分になる様に、私は詩経を読んでいた。 黄河文明の曙に遡るこれらの詩は、イリアスやオデュッセイアと同じく、文明に潜む矛盾がまだ歴然としなかった頃に作られた。 詩経やホメロスに描かれた人達は、ある意味で素朴なのかも知れないが、粗野で無神経と思ったら大間違い。 現代人に比べ、彼らは器が大きく情緒的にも洗練されていた。 自分に正直だから、腹が立てばそれを自覚し、恋焦がれれば何をすべきか分かっていた。 「合理的に考える」ことに囚われなかったから、情景を描いて思いを伝え、理詰めで論ずるよりずっと上手く自分を表現していた。 誰もが詩人であり、大学教授という存在は、まだ発明されていなかった。

また当時の中国では詩と音楽がまだ別個の芸術ではなく、詩は歌うものだったから、独自の音楽に載せて言葉を歌う方法を模索していた私にとって、詩経の詩が心に流れているのは良いことだろうと思った。

因みに、繰り返し現れる “ merit is exhausted, dynasties fall ” は、徳が尽きると天命を失い、王朝が滅びるという、中国古代の世界観。 インドや仏教で言う業(カルマ)や、西洋の天国と地獄の観念とも通じる部分がある。

*
英語の歌詞とブログ記事は、Dynasties Fall ページでどうぞ!

*

Creative Microphone Placement

2009年11月18日

qdss
qdss サンプル
完全版のファイルを買う
*

dotara-miking-newb今週は音楽、次はWordPress を使った新しいウェブサイト。 一週間交替の格闘は何時終わるのだろう...  ブログと新しいサイトの立ち上げまでもう一息、私達は疲れ切っていた。 でもこの機を逃せば最低三週間、録音は無理と分かっていたから、録音できる最後の日に、このクォータス、ドウターラ、しょきの極めて落ち着いた四重奏 (qdss) の基礎トラック録音を決断、思い切って “record” ボタンを押した。

ヘッドフォンから流れる楽器の音... 大丈夫、これで行ける!  目に見えない力が私達を後押ししてくれた様だ。 もちろん録音前の三日間、集中してクォータス、ドウターラの デュエットをアンプを通して弾き、その過程で、両方の楽器について、マイクの新しい設置法を編み出したことも、役に立っただろうが。

最大の違いは、ダイナミックマイクの設置だ。 二枚目のCDを録音した頃既に私達は、ダイナミックマイクを楽器に直接触れる様に置くと、ピックアップとして機能することに気付いていた。 (Microphone Placement)  でも当時はまだボウアス族 楽器のネックと交差する様に輪ゴムで留めるか、カリンバ族 楽器のキイの上に横に寝かせるだけだった。

quartus-miking-newcが今回は、指向性が強いShure SM-57 の鼻先が楽器に触れる様に置くと、より良い音質で録音できると気が付いた。 でも設置する為のスタンドもクリップも無かったから、私達は重力を利用し、本と本立てと輪ゴムに助けてもらうことにした。 ボウアス楽器のネックは前から本を積み重ねた上に置いていたし、私達は本に囲まれて暮らしているし、特に古い本は、現代社会に生きながら正気を保つのに欠かせないから、マイクの設置に本を使うのも変な気はしなかった。

結果は予想以上の大成功! マイクは自身の重さだけで楽器にぴったり付いたまま動かず、充分過ぎる程の音を捕えたので、プリアンプの目盛りを下げても大きく豊かなシグナルを録音できた。

AKG C2000 コンデンサーマイクについても、楽器にほとんど触れる位近くに置く、と言う小さな変化が大きな効果をもたらした。 M-audio プリアンプ (Our Updated Kit) の増幅量を減らすことができた為、このマイクを使う時いつも問題だったヒスノイズ がずっと少なくなったのだ...

*
オリジナルのブログ記事(英語)へは、この Creative Microphone Placement リンクをクリック!

*

I’m a Little Worried

2009年12月9日

ブログ最初となる歌を日本語で書こうとして、私はたちまち行き詰ってしまった。 まるで英語を下手な日本語に訳しているみたい... とうとう断念し、英語で書き出すと、言葉がすらすら来始め、歌の原形が生まれた。
*

I’m a Little Worried
I’m a Little Worried サンプル
完全版のファイルを買う

I’m a Little Worried

お椀に生けた
アパッチプルームがゆったり花開く、
白い花びらが透ける、
秋の暖かい日射しに、

片や大人になった子供達、三十路を越えて、  
使う当てもないスキルの為に
贅沢な学校で時間を無駄にする。

こんなガキ共が頑張るわけがない
ひたむきに咲くプルームのように。

森の奥深く
谷川の凍えるしぶきを浴びて、
青紫のオダマキはひっそり佇む、
一方遥かな高みで、乾いて尖った岩間から、
健気な兄弟たちが凛々しい頭を揚げる。

自分で家を掃除しないお偉方、  
自分でご飯を作るには立派過ぎる人達、
彼らは値するだろうか?
この気高い花が受けるべき尊敬に

海辺で、タンポポは波の歌にまどろむ、
木の生えない高山で、黄金の花びらは嵐に震える。

私の宿敵、庭で見れば引っこ抜く、
でもまだ浅い春の日、
汚れた雪の真中できらきら微笑むその花に、
私は頭を下げたくなる。 

自信満々の男、着ているスーツはお誂え、
パワーランチで腹いっぱい、ビジネスクラスのきつい旅でお疲れ、
家ではジーンズとバンダナ姿、コンサートグランドピアノでブルースを弾きながら、
底辺で苦しむ大衆の一人になった夢を見る。

無心に輝くタンポポよりも、ずっとちっぽけな奴。

もしこんな輩が今、本当に世界を支配しているなら、
こんな「宇宙の支配者」共が真実人の上に立つのなら、
さぁ私、ちょっと心配、
ちょっと心配だなぁ...

*
それからは、歌の録音と編集が終るまで、アーサーと二人で原稿に手を入れ続けた。 私のアイデアをより正確な英語の表現にする為に、Native Speaker の感覚と、長年書き続けて来た人の経験と知識を、余さず提供してくれたアーサーに、私は幾ら感謝しても足りない。 何事にも共同で当たるのが私達のやり方だが、歌を作る過程は、日本語のビジネス文書を、二人の間で行きつ戻りつしながら英語に翻訳する作業に良く似ていた。

ともあれ... 人間は自分達が他の生き物よりも賢く、優れ、己を良く知っていると信じて疑わない。 私達には傲慢としか思えない、この如何にも人間らしい態度への長年の驚きと嘆きが、“ I’m a Little Worried ” の底を流れている。

ここでは花について歌っているが、私達がインドに住んでいた時、人間には野生の猿が皆同じに見えるのに、猿の方は明らかに良い人と悪い人をちゃんと見分けていた。 我が家の庭に来るマグパイ(カササギ)は、他の人間と私達をはっきり区別し、私達に興味を示すのだが、こちらにはどのマグパイも黒と白の美しい鳥としか見えない。 同様に、庭の花達が、夏至の翌日にはもう違って見えることにも私達は気が付いた。 動物や植物は、空腹であればそれを知り、本当に必要な物を欲しがり、与えられた状況の中で出来る限りの最善を尽くす。

獣が獣として、花が花として精一杯生きている程に、「万物の霊長」たる私達は、人間として生きるという仕事に最善を尽くしているだろうか? 自分に何が必要かを知り、それを自己に与えているだろうか...

*
歌詞とブログ記事(どちらも英語)は、I’m a Little Worried ページでどうぞ!

*
Slow Music and Other Reasons to Avoid Materialism

2010年1月4日

Bowus – Quartus
Bowus – Quartus サンプル
(ボウアス – クォータス)
完全版のファイルを買う
*

bass bowus closeup身も心も落ち着いている時、音楽は奏でる私達を神秘に満ちた静寂へといざなう。 黄金のしじまに浮かんだ音は、目に見えないエネルギーの絡み合う空間を、光の滴となって落ちて行く。 音楽は私達二人の、心の静かな呼吸に構造を、魂の温かい共存に一体性を見出す。 すると自分でも不思議だが、ほとんど音にならない、微かな声に耳を澄ませ、無から音が生まれるのを共に感じる悦びから、音楽は流れ出る。 数えることや明瞭な思考や記憶からではなく、静かさを追い求める意志からでさえなく...

少々きらびやかな文章だが、もし貴方がこの曲を聴きながら読んでいるなら、音楽用語では表現できない音楽について、私が言葉の限界を拡げて語っているに過ぎないと、分かって下さるだろう。 どこまでもゆっくりで、聴く者の時間の感覚を変える、と言う他に、この曲について確実に言えることがあるだろうか。

去年の秋、4年ぶりに録音を再開した時は、音楽がどんな方向へ進むのか、決して定かではなかった。 古い解決策を疑ってかかった方が良い時代に私達は生きているから、この新たな試みで、前よりもペースの速い音楽を録音することになるなら、それでも良いと思った。

でも新しい機器に慣れ、常にアンプを通して演奏する違和感が少なくなるに連れ、今回もまたゆっくりへと向かっていることがはっきりした。 そしてこのベイスボウアス とボーダスクォータス  のデュエットは、私達が録音した、最もスローな音楽となった...

誰もがboardus-quartus fingers忙しい世の中、人を興奮させる音楽は幾らでもあるが、落ち着かせてくれる音楽は、まだまだ足りない。 それに、より多くの音符をより速く演奏すれば、優れた、力強い音楽になると言う類の、物質主義風の愚かな考え方に釣り込まれたくもなかった。 さらに、More が必ずしもBetter ではないと言う、やはり反物質主義の精神から、これまでブログに載せた曲とは異なり、この曲はオーバーダビングせず、私達が以前録音した様な、心地好い簡素さへと戻った。

でもオーバーダビングしないについては、高尚な理由以外に、現実的な理由もあった。  先月、四つ目の記事と音楽を掲載し終え、ブログが予定通りの姿と力を備えた途端、大きな翻訳の仕事が来て、今はオーバーダビングを考える暇さえない。 だから最初に録音した四つの基礎トラックが、それだけで音楽として成り立ったのは、とても幸運であった。

*
オリジナルのブログ記事(英語)へは、この Slow Music and Other Reasons to Avoid Materialism リンクをクリック!

*

Dark Clouds

2010年3月22日

Dark Clouds
Dark Clouds サンプル
完全版のファイルを買う

Dark Clouds

暗雲、山に重く
鳥は音も無く、空に輪を描く。 

労せず得た富に、世間から守られて
古い友達は、十代のまま六十路を越えた
顔にシワなく、手は柔らか
専門職に就き、子供も育てた、決して大人にならないで。

頓挫した成長を永遠の若さと勘違い
人生に試されず、鍛えられず
医者の薬漬けには良い頃合い、
効果は保証付き、選択的手術にも。

彼らの話を鵜呑みにしない私達を怖れ、
金あればこそ善い人間、と自分に言い聞かせる。
でも心の底では知っている、私達に追い越されたと、
叶わぬ夢であるようにと彼らが願った、光輝く人生を、私達は今も生きていることを。

インプラントの歯並みを見せて苦笑い、無くてはならない嘘にしがみつく。
私達みたいに恵まれてさえいたら、自分だってこの人生、何かしただろうと。

彼らは見ようとしない、私達の幸運が寂しい懐や、
狂った現代社会の何を避けるか、知ることだと。
彼らは忘れてしまった、良い本が頭で世界を築かせることを、
ご飯を作って満たすのは、お腹だけじゃないことを、
何かをするのと、してもらうのとは違うってことを.....

朝は、湯気の立つ甘いチャイをマグカップにお代わり、
午後には、濃い緑茶が急須になみなみ。

毎晩、夕食の後、片膝ついて
あなたの手を取りプロポーズ。

もう20年、二人で歩む人生は不思議に満ち、
どこまであなたで、どこから自分か、とうの昔に忘れてしまった。

また一つ、実りある日を終え、
シーツの温もりを待つ。

外は、白樺を吹き抜ける風のため息、
天には星が燃える、凍てつく夜更けに。

*
この歌は、哀しみと怒りから生まれた。

古い友人達の多くが、今や惨めで退屈し、恐怖に囚われ、腐った子供の群れの餌食になっていると言う哀しみ。

彼らの多くが、有望で高潔に見えた若者から、自己防衛するだけの太った肉の塊になってしまった事への怒り...

*
英語の歌詞とブログ記事は、Dark Clouds ページでどうぞ!

*
Finding the Time for Music

2010年7月4日

Bowus – Bowus
Bowus – Bowus サンプル
(ボウアス – ボウアス)
完全版のファイルを買う
*

bowus-bowus recordingb家賃を払い食料を買ってくれる翻訳業を、二人一緒に自宅で出来ることがどれ程幸運か、私達は良く分かっている。 友人達が街中のスーパーや銀行や郵便局の、騒音と人混みの只中で働いているのを思うと、私達の静かで優雅な仕事場はまるで天国だ。 トイレには何時でも行けるし、昼食はお腹が空いた時、空気は申し分なく、通勤の必要も無い。 時給も悪くはない 。(全く無能な医者や弁護士や教授、不動産業者や株屋でさえ稼ぐ額に比べれば、はるかに少ないが...) スーツを着たお偉方を気に病む必要も無い。 締切に追われて何週間もぶっ通しで働く時もあるものの、二日、時には三日続けて休みを取れることも珍しくない。

それに、友人達が日々この不公平な社会から受ける屈辱と虐待に、私達も直面しなければならなかったら、とっくに押し潰されていただろう。 「生まれた時の階級」に属する他の人達 (“Dark Clouds”に歌い、書いた古い友人達を含む) 同様、私達も恵まれた環境で育った結果、労働者ほど強くはないから。

しかし幸運だとは分かっていても、疲れ果てていると言う現実が、それで変わる訳ではない。 去年仕事が無かった時に積もった借金を返す為、身を粉にして働き続けて7ヶ月近く、慢性の睡眠不足で、楽しむ暇も、音楽する時間もほとんど無い。 20万語に及ぶ日本語>英語のビジネス翻訳のお陰で返済が進み、終りが見える所までこぎつけたのは、もちろん嬉しいし、誇りにも思うが。

ともあれ、自分達の軟弱さ(あくまで働く人達と比べてのことで、生まれた時の階級の人達よりは心身共にずっとタフ)と、コンピューターに釘付けの日々で疲れ切った状態を思うと、このブログ記事の為に ボウアスーボウアス デュエット の録音を試みたのは、少々思い上がっていたかも知れない。 自作の楽器の中で一番難しい組み合わせ、そしてボウアス楽器の織り成す音はとても風変わりなので、最も不思議な音楽を生み出す組み合わせでもあるから。

ボウアス楽器を弾いていると、弦を押さえる指がノイズの元凶となったり、コントロールを失って音が汚くなったりすることが多い。 しかもこんなトラブルはたいてい美しい楽節の最中に起こる。 気持ちが軽くなり、忙しい日々の邪念から解き放たれようとする時に限って!

これは弦の張力を低くしてある為、弾き手がボウアス楽器を支配できないからでもある。  まして楽譜にある様な、決められた通りの音を出すなど全く問題外。 楽器を独自の心を持つ対等の友として扱い、楽器が望む音楽を敏感に感じ取って、それを歌ってくれる様に優しく説得する以外、為す術はない。

音楽する時間を見つけ難いこの時期に、自分達の技量をそこまで持って行くのは楽な仕事では無かった。

それでも、息つく暇もないこの数ヶ月間に美しい音楽を創ろうとした試みは、私達の信条には打って付けのテストであった。 面白い新しさに出会うには、がむしゃらに一つ事に当たるよりも、色んな面から取り組む方が成果を生みやすい、と言う信条の.....

*
オリジナルのブログ記事(英語)へは、この Finding the Time for Music リンクをクリック!

*

Hand in Hand

2010年11月28日

Hand in Hand
Hand in Hand サンプル
完全版のファイルを買う

Hand in Hand

マグパイの夫婦が、家の木に落ち着いた。 
一枝一枝、巣は出来ていった。

季節は巡り、翼に戸惑う子鳥を見た日
夕暮れ前に、みんな何処かへ行ってしまった...

昔は怖かった、何時か誰かが現れて
上っ面をぶち壊し、醜い私をさらけ出すだろうと。  
でも私の出会った生涯の恋人は、あるがままの私を愛し、
二人は助け合い、一緒に成長して来た。

手に手を取って、私達は落っこちた
肩書きや金が、何ができるかより大事な世界から。

何もかも楽珍過ぎる世界
富は有り余っているのに、
本当に必要なものを、誰も持っていない。

こんなちっぽけな人間のことを
笑うべきか、泣くべきか、わめくべきか
自分は辛い人生に打ち勝ち、
全ての人を愛し、何でも知っていると思う人達を。

私達の新しい世界とは、どれ程違うだろう
そこでは何を持つかよりも、何をするかが大事で、
誰もが、果てしない時間、働かねばならず、
頭も体も、使わねばならない、
だけど何でも知ってるなんて、夢にも思わない。

今は私達も、少しくたびれている
新しい友人達のように
私達も苦悩している暇など無い。
でも落葉をかく二人の、腕には力がみなぎる。

夜明け前、マグパイが窓の外でお喋り、
時には、古巣の辺りでたたずむ。
優しく賢明な鳥よ
私達をまだ好い人間と思うなら、
来年も、どうぞ巣を作ってね、もう一度...

*
この現代社会、真面目だと馬鹿正直でダサイと思われる。 でも私達は、人生を真剣に生きて良かったと思う。

「物事に通じ、精神的な」人々(たいてい裕福でもある)の間では、言行一致は野暮なばかりか、無礼とさえ見られる。 そこでは 「貴方が私の行いに目をつむるなら、私も貴方の行いを見ない」 という、暗黙の了解がある。

アーサーが Dark Clouds で歌い書いた様に、「生まれた時の階級」 に属する古い友人達の言と行が随分違うと気付いたことが、私達が長年、彼らとは別の道を歩んで来たと悟るきっかけだった...

*
英語の歌詞とブログ記事は、Hand in Hand ページでどうぞ!

*
Counting Down to Our New CD !!

2011年5月12日

Quartus – Quartus
Quartus – Quartus サンプル
(クォータス – クォータス)
完全版のファイルを買う
*

quartus-quartus recording b2四分音カリンバ二台 で演奏するこの曲は、実は三ヶ月近く前に完成していたのだが、その後私達は、新しいCD(七月中に発表できますように)に収める音楽の再編集にかかりっきりで、ブログ記事を書く余裕が全く無かった。

でも、聴かれないままコンピューターのハードドライブ に埋もれてしまうには、この曲は美し過ぎる。

私達が今までに創造した音楽の内でも、最もゆったりと澄み切った曲の一つで、色んな意味で 「純粋な」 音楽  に近い。 この言葉を、時にバッハの音楽を表現するのに使われる様に使うと。

同時に、音楽学者が気を付けて聴けば、ひどい頭痛を起こしかねない音楽でもある。

明快で、一見単純に聞こえ、 明らかに不協和音が無いから、従来の音楽理論で簡単に分析できそうな気がする。 でも現実には、おおよそに四分音に調律した楽器で演奏され、しかもテンポもリズムも絶えず変わり続けるこの曲を分析するのは、そう簡単ではないだろう...

この曲を作り上げるのに、私達は精根尽き果てるまで編集した。 録音したままのファイルを初めて聴いた時から、際立って美しい曲になるかも知れないと思ったので、その可能性を実現する為に自分達で出来ることは全てしたかった。

結果として、52分の生ファイルを6分の完成した作品にするのに、32回に及ぶ個々の編集過程、言い換えれば合計110時間程の、頭の痛くなる、目の疲れる作業を要した。

音と音の間の、響きに満ちた長い空間がたくさんあることも、編集を楽にしてはくれなかった。 それどころか、そんな空間では、欠点の一つ一つが気が滅入るほど露わに聞こえてしまう。 音楽的な欠点 (ぎこちなさ、しつこい反復、美しくない)でも、技術的な欠点 (楽器を弾く時や録音によって出る雑音、窓の外で吹く風や家がきしんだりする、周囲の雑音)でも。 従来の音楽の様に、ほとんどいつも音(響きではなく)が鳴っていれば、邪魔な雑音も少しは隠れるだろうが、私達の音楽ではそうは行かない。

こんなに時間のかかる編集を、人を雇ってやってもらうのは、たいていのミュージシャンにはとても手の届かない程高価であることも、注目に値するだろう。 けれども、人生全般に関わる私達の専門化しない 哲学に沿って、私達は編集の全てを自前の機器を使って自分でするから、掛かった費用は、バケツ何杯分ものコンピューター臭い汗だけだった。

また自分の音楽を自ら編集したので、音楽的な決断をする為に(ある部分の音量を変えるとか、いっそ消してしまうとか)、面倒な合意プロセスを経る必要など、もちろん無かった。 私達がしなければならないと判断したことは、思い切ってやるのみだった。

*
オリジナルのブログ記事(英語)へは、この Counting Down to Our New CD !! リンクをクリック!

*
To Keep Our Music Alive, We Need Your Support

*
世間が認めるルールで生きる人生は、
きっと安全で退屈だろう。
舗装の良い道路は、人が前に行った処へ行き着くだけ。

でも、人の行かない道を歩めば、
ひょっとすると、魔法に満ちた新しさへ辿り着くかも知れない。

だけど、私達流の新しい世界は、
かつて誰も聴いた事の無い音楽が飾るものの、
一風変わった食べ物や、癒す静けさは豊かなものの、
未だに富をもたらしてはくれない。

だからもし貴方の懐が暖かくて、
私達の音楽が続いて欲しいと望むなら、
私達のCDを一枚、貴方の物にする為に、
どうぞ 音楽屋さん をクリックして下さいね。
*

snowy mountain (new)