創作楽器

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1991年、私達がインドに住んでいて、初めて自分で楽器を作った時から、それは思考を止め、緊張をほぐし、我を忘れる為の道具であった。

それは今も変わらない。

楽器達は大きくより精巧になり、時にはアンプを通して弾くようにさえなった。 それでも私達が彼らと共に探しているのは、永遠にも思えるあの瞬間、忘我の境地、より浄く平和な世界への扉。

その甘美な音色は、聴く人の体の奥深くまで届く響きに満ちているが、弾き手の思うままにならないから、楽譜に書かれた音楽を弾くのには向かない。

野生の魂を持つ不思議な相棒、これらの楽器なくして、私達の優雅で無垢な音楽は生まれ得なかった。
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私達がわざわざ手間をかけて楽器を作ったのは、ただその楽器を弾きかったからだ。 売る為の製品と思ったことはない。

一つ家庭で育つ兄弟の如く、私達の音楽と楽器は一緒に成長して来た

自作の楽器は、かつて誰も聞いた事の無い音で、音楽を織らせてくれる。 だから、私達が非常に違った音楽を作り出すのは必然だった。

そしてこれらの楽器は、どんな音階に属する正規の音をも出す様には設計されていないから、また音の一つ一つに風変わりな倍音が作る独自の色があって、異なるのは音の高さだけではないから、頭で考えて弾くと上手く行かない。 懸命に練習しても、思うままにはできないし、行儀良く振る舞いはしない。

私達は楽器自身がどんな音色で歌いたいのかを知り、どう弾いて欲しいのか、楽器に教えてもらわなければならなかった。 その結果、楽器は私達を、独自の新しい音楽を発明するよりはずっと易しい、発見する立場に置いてくれたのだった。

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何世紀にも渡る、設計家の献身的な努力にもかかわらず、今日ある伝統的な楽器も、完全に扱い易く均一な音を出す訳ではない。 弦楽器や金管楽器にはウルフ音 (うなり・きしみ) があるし、ピアノの最も低い音域の音は、少々説得力に欠ける。

残念ながら、これらの楽器を学ぶ人達は、面白い変わった音の世界を追求するように励まされるどころか、そんな音を避ける為の厳しい指導を受ける。

たとえば、チェロを習っている人の宿命を考えてみよう。 この全く素晴らしい楽器は、驚く程幅広い、様々な音を創り出せる。 しかし遅かれ早かれ、先生のしかめ面と厳しい言葉が、そんな音のほとんどが絶対禁止であるとはっきり物語る。

そして生徒は、正規の音符と音符の間へは決して行かず 、キイキイ言う音を恥じ、囁く様な音色を避け、一貫して音量が大きく円やかな音を出す訓練を受ける。

バッハを弾くことを学ぶのが目標だったら、いかにも妥当だし正しいだろうが、音楽に新しさを見つけようとするなら、こんな訓練は逆効果を生み、生徒を心理的にがんじがらめにするだけだ。

チェロを上手に弾きこなせる頃には、酷な 訓練を受けた生徒は、楽器が出せる音の90%を避けるようになってしまうから。

あぁ、ため息...

自作の楽器の感触豊かな音は、注意深く聴くことを私達に強いる。 単純で混じり気の無い音色より面白いその音は、中途半端な理解を拒む。 半音よりも、四分音よりもさらに小さな音程で隔たった音で音楽を創造するには、耳を澄ませて聴くことが記憶の代わりを、感情や感覚が思考の代わりを務めなければならない。

それでもこれらの楽器で奏する曲には、奥深い構造が十分あるから、厳格な反復が無くても、楽器にのせて言葉を歌うと全てがしっくりと収まる。 音楽が言葉を支え、言葉が音楽に力を与える。

I’m a Little Worried
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また、独自の楽器を作ったことで、新しい何かを創造するには専門を絞らない方が上手く行く、という私達の信念がさらに強くなった。 楽器作りから弾くことへ戻ると、私達の音楽が必ず成長しているからだ

これは簡潔に理にかなう。 私達がより十全に音楽を生きれば、楽器を弾くだけでなく作りもすれば、その結果、より大きな音楽が自然に生まれる。
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しょき族

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尺八を基に生まれたしょき族の素朴な竹笛は、マイクロトーン (微分音 – 半音より小さな音程) の世界の扉を開いてくれた。 指穴の形と大きさ、穴と穴の間隔によって、一応「調律」してはあるものの、穴の一部を閉じたり、口-舌-息 を調節したりすると、音と音の間を切れ目なく滑ることができ、不思議な音の大宇宙を創造させてくれる。

それに加えしょきは、酔わせるかの様に、その音を囁き、叫び、震えさせ、ねじ曲げることができる。 だから自分を解き放ち、より浄らかで神秘的な世界へ人を連れて行く音楽を創るのにとても適した楽器と言える。

伝統的な尺八に比べ、私達のしょきはこの傾向が強い。 一つには、しょきは内壁が尺八ほど滑らかでないので、音色をコントロールしにくく、その野性にまかせるしかないことも珍しくない。

また普通の尺八もかなり気まぐれだから、たいていの場合音量を大きく吹くことで、「正しい」音を出す。 つまり尺八の生徒も、チェロの初心者同様心理的に縛られ、楽器が喜んで創る様々な面白い音を避ける訓練を受ける。 特に柔らかな音は、全て立入禁止区域となる。

でも私達は決まった曲を演奏する訳ではないから、自分達の笛を静かに吹く自由がある。 そして、しょきの飼い慣らされない繊細で柔らかな音色、自分の思い通りにしようと奮闘しない時に笛が歌う、魅力ある小さな音の数々は、伝統的な尺八奏法を披露するのに最も良く使われる曲、「鹿の遠音」のいささか変化に欠けるが美しい音に劣らず、魔法に満ちているということに、私達は気付いたのだった。

Music and Magic ページで私達が述べる様に、大音量の音楽にも聴く人を別世界へ連れて行く魔力がある。 しかしそれは暴徒の群れに溶け込んで、力に酔い痴れる感じにも似た、粗野で低級な形の魔法だ。
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カリンバ族

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1995年、私達がそもそもアフリカの親指ピアノに刺激されて、カリンバを作り始めた頃に比べると、カリンバ族の楽器達は、その先祖とは遠い親戚でしかないという所まで進化して来た。

それは1998年、私達が今風の古代生活を営んだインドを離れる直前に、初めてキイボード型のカリンバを完成した時、明らかになった。 「ベイサス クロマティカス」 という名のこの楽器は幅40cm、 音の低いものから順に並んだ24本のキイを半音間隔に調律してある。 その後私達は、同じく半音階に調律したカリンバをもう一つと、幅1m弱の新しい楽器を二台作った。 この新しいカリンバはどちらも、音の低いものから順に並ぶ48本のキイが、ほぼクォータートーン (四分音 – 半音の半分) に調律してある。

「ベイサス クロマティカス」 を作った頃、私達はこの楽器にほんの少しでも似通ったものを、見たことも聴いたことも無かった。 その年、後にアメリカに帰国し、インターネットでカリンバのことを調べられるようになった時も、手に持って弾く半音階カリンバは見かけたが、私達の楽器と肩を並べるものは、ついぞ見当たらなかった。

ところが2007年頃になると、キイボード型のカリンバがGoogle の検索結果に現れ始め、今では色んな形や大きさのものがある。 けれどもこれらの楽器全てに共通しているのは、ピアノの白鍵と黒鍵の配列を真似たキイの並べ方で設計されていることだ。

カリンバで従来の音楽を弾くのなら、私達の楽器よりもこの方が向いているだろうが、既にある他の楽器で弾くのと同じ位上手く行くか、となると疑いを禁じ得ない。 踊りながら演奏するポップミュージシャンには、ワイヤレスのピックアップが付いた、手で持つカリンバの方が良いだろう。 一方、クラシック音楽の要求する複雑な指使いを、細い金属製のカリンバキイでこなすのは、他のどんな鍵盤楽器の平たく幅広いキイでよりも、ずっと難しい筈だ。

実際にそんな楽器を作るについては、ピアノの鍵盤配列を真似る様にカリンバキイを並べるのは生易しい事ではないだろうから、敢えてそうすると、どうしてもルーブ ゴールドバーグ風の不細工な楽器になってしまう気がする。

自慢の種になる以外、凝った作りで見た目は物々しいが、既にあるものとは違う美しさを持つ音楽を生み出せない、そんな新しい楽器を作る理由が、今ひとつ私達には分からない。 でもそんな楽器作りを専門にする、高級ブティックビジネスがいくらでもある事を思うと、きっと私達の理解が足りないだけなのだろう。 ちょうど、まれにしか録音しない人達に高価な録音機器を、写真をあまり撮らない人達に高級カメラを、極くたまにしか料理をしない人達に、火口が六つもあるステンレス製の業務用レンジを、そして滅多に土の上を歩かない人達に登山靴を、供給する産業がある様に。

幸い、従来の音楽を弾くことが目標では無かった私達には、キイボード型の半音階カリンバを12音音階に調律する自由があった。 その結果、私達のデザイン感覚をくすぐると同時にクォータートーン楽器にも簡単に応用できる、単純で優雅なキイの配列となった。

このキイ配列は重要なことだった。 私達に言わせると、12音カリンバにはまだまだ従来の音楽理論がしっかり組み込まれている。 だからクォータートーンカリンバが二台になってからは、私達はもうそれしか弾かない。

こんな風に書くと、カリンバ族の歩みが明確に考え抜かれた計画的なものだった印象を与える。 だがこう言った方がより現実に近いだろう。 カリンバを作り始めた頃の私達は、自分が何処へ行こうとしているのか、皆目見当が付かなかった。 でも時が経つに連れ、楽器そのもの、私達が楽器から紡ぎ出した音楽、私達の録音とマイク設置の方法、そんな全てが影響し合い一緒に進化して行った、と。 私達の人生で何度も起こった様に、何かを成し遂げようとする過程が、どう進むべきかを私達に教えてくれたのだった

ともあれ、私達の知る限り、キイボード型のカリンバは、指先で直接何かを打って音が創られる唯一の鍵盤楽器である。

一般に鍵盤楽器の音は、何かが弦を叩くかはじくことで、ハンマーが木片や金属片を打つことで、或いは踊る電子によって、間接的に創られる。 もちろんこうした音の出し方が間違っているなどと言う気はさらさら無い。 けれども、指先で直接何かを打って音を創ることで、音質と音量をどちらも、一きわ微妙に体で感じながらコントロールできると解った時は、とても嬉しかった。

また私達のカリンバキイは、炭素を多く含む鉄鋼棒から一本ずつ打ち出されるので ( 厚みの均一な鋼板から切り出したのではなく) 、それぞれ独特の面白い音色を持つ。 その為、従来のどちらかと言うと機械的な鍵盤楽器の調律 に比べると、私達のカリンバの調律は、あまり均一でも規則的でもない。 その上、規格に収まらないこれらのキイの一つ一つが、かなり違う「感触」を持っているから、私達のカリンバを弾くこと は、あくまで平坦で規則正しい都会の舗道を闊歩するよりも、登山道を歩くのに近いと言える。

...だから、私達の性格により合っているばかりか、魔法をかけ、思考を止める音楽を創るのにも、ずっと効果がある。
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ボウアス族

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ボウアス族を開発したのは、弓で弾く弦楽器で音が低くフレットが無く、しかもあぐらをかいて弾けるものが欲しかったからだった。

その中で最も新しい楽器、「ベイスボウアス」は全長二メートル半で、弦は一本だけしかない。

ボウアス楽器の太いガット弦は、わざと緩く張ってあるので、弾き手が楽器を支配するなど、想像すらできない。 私達が作った他のどの楽器よりも、楽器自身が歌いたい音色で音楽を創るしかない。

私達が思考を止め、耳を澄ませ、直感を解き放つ時、初めてボウアスは美しく歌う... どきっとする程に。

楽譜に書かれた一連の音を速く正確に弾くには、何の役にも立たないが、私達が上手に弓を使うと、ボウアスの豊潤な響きは、ゆったりと移り変わりながら、いつまでも鳴り続ける。

調子の好い時は、弾いていてすごく楽しい。 自作の楽器の内で、最も不思議な力を持っているかも知れない。
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....自分自身の手で

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私達が楽器を作ると言う時、それは実際に自分自身の手で作ることを意味する

下の二枚の写真は、私達が玄関の外でクォータス用のキイをハンマーで打ち出し、打ち終えたキイに、ベランダでやすりをかけているところ。 二人共少々ストレス気味に見えるのは、私達の扱っていた金属が、炭素を多く含む、極めて硬い鉄鋼だったからだろう。 ( 炭素含有率の高い鉄鋼を、熱さずに打つのは不可能とされているが、初めて試みた時不可能とは知らぬまま作ってしまい、出来上がったキイに全く問題は無かった...)

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