Dark Clouds
Dark Clouds サンプル
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専門を決めない。 根本から新しい音楽を探求する私達にとって、それがどれ程有利であったかは、全く疑いの余地が無い。
生物学の世界でも、明らかにこれと似通った事が起こる。 ある特定の状況に適応し切った種が、重要な点で異なる新しい生命体に進化することは滅多にない、と言う意味で。
もちろんこの姿勢は、重大なことを成し遂げるには何か一つに専念する以外の道はない、と主張する専門家達の意見と真っ向から対立する。 でも考えるプロが言うことを鵜呑みにする前に、そう遠くもない昔、専門家の定説では、地球は平たかったのを思い出すべきだろう。
それに加え、あらゆる角度から音楽の核心に向けて掘り進む代わりに、もし専門礼賛に調子を合わせて、音楽の或る一つの側面だけに焦点を絞ったとしたら、あの優雅な魔法の音楽は決して創り出せなかった、と私達は確信している。
どれが誰の物と決めずに、個性豊かな自作の楽器を全て、私達の両方が演奏したから、マンネリに陥らずに済んだ。
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またこの楽器達は、従来のものとは違う、世界に一つしかない奴ばかりだから、かつて誰も聞いたことの無い音で音楽を創る、という巨大な利点を私達に与えてくれた。
そして録音も編集も自分でしたことが、注意深く客観的に聴く術を教えてくれた。
独自の型破りな音楽観をこのウェブサイトで模索することさえも、私達がより一層説得力のある音楽家になるのを助けてくれた。 自分達のとても変わった音楽に至る、決していつも楽ではなかった長い道のりを、深く理解するようになったから。
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さて既に述べただけでも、専門家を自負するたいていの人に、いささかの不快感を与えるには充分だろう。 でもここまでは、曲がりなりにも音楽に関わることばかりだ。
しかし彼らの心の平静にとってはあいにくだが、音楽美を創造せんとする私達の、専門を決めないやり方は、音楽と直接つながる活動をはるかに超える。
例えば、家や家具を作って身に付けた技術無しには、自作楽器の小さなオーケストラを生み出すなど、到底無理だっただろう。
こうしたモノ作りの全てが、私達を鋭く強くし、より美しい音楽を演奏できる人間に変えたのは言うまでも無い。
決して自分で物を作らない、必要な物は何でも買って済ませる人達は、本当に優れた物を作ることがどれ程困難か、理解できない。 しかも設計や、念入りな採寸ばかりが頭を使うのではない。 一瞬たりとも注意をそらせば、モノは人間の支配から逃れてしまう。 電気ノコギリは必ず記した線とは違う方向に進もうとし、縫い目はいつも曲がりくねろうとし、釘は 常に折れ曲がろうとする。 そしてありったけの注意を集中することだけが、こうした惨事が起こるのを防ぐのだ。
私達の経験では、ほとんどの場合、いわゆる「高尚な」行為よりも、現実にある物から何かを作ることの方が、ずっと「知性」を要求する。 著作物が良い例だ。 冷静な目で見れば、著作の大部分は単に自己満足のお喋りに過ぎず、本当に思慮深いものはごく稀にしかない。 それに間違った言葉を選んだら、もちろんいつでも削除したり消したりできる。 けれども一旦木材を短く切ってしまったら、もうどうすることもできない。
だから私達は、2004年の春を費やしてキイボード型カリンバを二台制作した後、同じ年の秋、以前作った物とは全く違う、大きな家具を二つ作って、二枚目のCDを録音する準備を続けたのだった。
相変わらず慢性の金欠状態にあったので、この家具はどちらも高価な堅木(かたぎ)ではなく、お世辞にも高級とは言えない材料、ベニヤ板と安物の軟材から作った。 それでも私達の習慣で、時間をかけて丁寧に仕事をしたから、出来上がった家具の前面の対角線を二本測って比べると、誤差は5ミリ以下だった。(つまり、安い材料で作られたにもかかわらず、値段の高い家具の多くと比べても、私達の家具の方が直角に近かった。)
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もちろん、軟木から製材した安物の 2×2や構造用ベニヤ板は、高品質の物を作るのに普通使われる材料ではない。 でもここまで読み進んだ貴方なら、私達の家具が音楽や楽器と同じく型破りでも、さして驚かないかも知れない。
ともあれ、懇切丁寧な仕事をすることで、低級な材料から美しい完成品を作るという、この能力を身に付けるには、何十年もかかった。 けれども今やこれは、私達の暮らしの様々な部分と関わる、応用範囲の広い重要な技術となった。
貴重な自作の楽器も、多くはベニヤ板を使っているから、この技術無くしてあの不思議な音楽を創り出すのは不可能だったろう。
また、安い材料から美しい物を作れることを知らなかったら、プロが満足しないような機材を使って、クリーンでプロ並みの音質の録音作品を創る、と言う難題に直面した時、私達はきっと諦めてしまっただろう。
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自分なりのやり方を見つける
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何でもするのに加え、私達は可能な限り、自分なりのやり方を見つけるようにも努めて来た。
権威や教師、正規の学校教育をむやみに尊敬する人達が信じたがる事とは逆に、このアプローチは困難を生ずるどころか、たいてい成功した。 基本から始めて、焦らず注意深く進む気があれば、そしてプロセスそのものから学ぶ姿勢があれば、きっとやり甲斐のある結果にたどり着く。 私達は自分の目で、この事実を何度も目撃した。
物事を自力で解き明かす内に、私達の知識も積み重なって行く。 新しく取り組む課題や技術の一つ一つが、前に何か別の問題を解決しようとした時に蓄えた経験と知識を足掛かりにする。 対照的に、正規の学習によって得た新しい技能は、その分野だけに留まる傾向があり、他の技能と影響し合って成長を助ける可能性がずっと少ない。
実際、私達は今や創造性の専門家になったとさえ言えるだろう。(我ながらいささか高尚に過ぎ、格好付けた様な、少々鼻にかけている様にも思えるが、重要な点であることは確か.... )
例えば、タオスに引っ越した後、庭に花を植えたいと思ったが、まず土壌を改良し、それから園芸店で苗を買うと言った、普通のやり方はしなかった。
その代わり、山登りをしながら、我が家の庭で見栄えがしそうな花がないか、目を光らせた。 これと思うものを見つけたら、次はその花が元気に茂っている場所を探し、強そうな若い苗を掘り起こしてビニール袋に入れ、根元を水筒の水で湿し、リュックに収めて持ち帰った。 家に戻ると、地面に穴を掘り、穴の底に水をたっぷり注ぎ、耕さず肥料もやらない土に、山から来た新しい友人を植えた。
タオスを去った頃には、イトシャジン、オダマキ、野ばら、ハルジオン、ゼラニウム、ペンステモン、スカーレットビューグラー、シオンの他、名前も知らない乾燥に強い花達が、我が家の周りを飾っていた。
もちろん、山野草で花壇を作ったのは私達が最初ではないが、どうやって実現したかとなると、話は別。 始めるに当たって私達は、野草を使った造園術の講習を受けもしなければ、それに関する本さえ読まなかったから。 代わりに、自分なりのやり方を見つける方針に沿って、直感を信じて進んだ。
その結果、またもや私達は、美しく得難いものを得たばかりか、創意工夫する能力をも伸ばしたのだった。
食生活についても同様に、私達は「 教科書に拠らない 」 道を歩んで来た。
私達は食事のほとんど全てを自分で作るが、料理法に従うことはまあない。 そして初めはレシピーを使う場合でも(午後の緑茶のお供に毎日食べる、ピーナツバタークッキーやバナナブレッドなど、オーブンで焼くお菓子のように)、間もなくあれこれ変えて自己流にする。
例えば、私達はたいていいつも金欠だから、キャベツや人参、ジャガイモ、玉ねぎ等、安い野菜を使って飛び切り美味しい御飯を色々作ることを学んだ。
また標高2000mのタオスでは、沸点が低く野菜が煮えるまでひどく時間が掛かったので、電子レンジで下ごしらえ、蒸す代わりに煮込む、或いは圧力鍋で調理、と工夫を重ねた。 ここでも「高所でクッキング」 の教本によらず、山野草の花壇と同様、勘と試行錯誤で解決策にたどり着いた。
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翻訳
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人生は大体において私達に良くしてくれたが、お金に不自由しないのは稀で、懐がぞっと寒いことも時にはあった。
2006年、状況が上向かなかったら、リオグランデ峡谷の橋へ片道旅行、と思いつめるところまで事態は差し迫っていた。 預金も資産も無く、どうやって家賃を払い食料を買うか、不安と絶望に暮れていた。
幸い二人協同で働けば、日本語のビジネス文書を確かな英語に翻訳できると分かったので、その後は、何十万語にも及ぶ契約書や世論調査、ビジネスメールの遣り取り、雑誌の記事、法的供述書、他もっと退屈なものを延々と翻訳して生活を支えた。
だが専門を決めない姿勢と関わる点は、身をすり減らすこの仕事を独学で学び、音楽や他の活動をないがしろにせざるを得なかった間も、その実私達は、何でも屋の腕に磨きをかけ、後に Work In Progress CDとして実を結ぶ、飛躍的な創造の基礎を築いていたことだ。
何より重要なのは、コンピューターに慣れて、不快感が減ったこと。 翻訳の仕事に強いられて、私達はWord のあらゆる書式設定オプションに詳しくなり、Excel や PowerPoint 等のプログラムも使いこなせるようになった。 それに加え、長時間コンピューターに向かって働く毎日に耐える為、お尻と脳味噌にタコができるまで頑張らねばならなかった。
そのお陰で、何時間もスクリーンに釘付けで自分達の音楽を編集するのが、苦にならなくなった。 正直言って、文章の拙い、根本的に愚劣なビジネス文書を翻訳することに比べれば、音楽編集に過ごす時間はすこぶる楽しい体験だった。
加えて、翻訳家として身に付けたコンピューターの知識無くしては、Work In Progress の音楽を録音編集したプログラム Tracktion2や、このウェブサイトの制作に使ったプログラム WordPressを充分に活用できなかっただろう。
また誇りを持てるような翻訳をするのはとても難しく、完全な集中を要するから、うんざりする程それに時間を費やしたことが、私達をより強く鋭くした。 そして二人協同でした為に、私達の音楽に欠かせない、テレパシーに近いコミュニケーションが、もっと密になった...
...翻訳を始めた頃は、専門を決めない私達の生き方もこれで終わりかと思った。 けれども事が落ち着くと、文無しになったことは、既に広かった活動範囲をさらに拡げ、蓄えた技術に新顔を加える結果となって、一段と美しい、幽玄の音楽を創り出せる様な、大きく幅広い人間に私達を変えたのだった。
もう一度危機から立ち直り、私達の信念は前にも増して強くなった。 専門を決めないやり方が自分の歩むべき唯一の道であり、身を粉にして働いて得られるのは、粉々になった身だけだと言う信念が。
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波に乗ると、調子が好い...
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私達が専門を決めない人生に見つけた素敵な特徴は、何か一つに上達すると、他の活動にも全て、必ず進歩があることだ。
つまり、美味しいご飯を作り、優雅な家具を作り、風変わりな庭を造り、きれいなカーテンを縫っている時は、私達の奏でる音楽もまた神秘に満ちている。
だから録音した時も、それに集中したいのは山々だったが、決して他の活動を切り詰める誘惑には負けなかった。 ハイキングや読書、料理や庭仕事が、音楽の創造に絶対欠かせないことを私達は知っていた。
何かを専門にすることは、芸術の独創性につながるどころか、むしろ脳味噌の溝を深くして、新しい創作が既にした事の焼き直し、せいぜい技術面で進歩しただけに終わらせる場合の方が多いと、私達は益々確信している。
専門礼賛は、現代社会をここまで不毛にした物質主義のまた一つの側面に過ぎない気がする。 何か一つの事をすればする程、必然的により良くできる、そんな理念に基づくから。
さて明らかに、ある程度まではその通りだが、芸術を創造し魔法をかけるとなると、あくまでもある程度まで.....
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