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ghat and gaib

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いにしえの地で

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1990年の晩春、おとぎの国ヴァラナシで私達は出会い、恋に落ち、手に手を取って、それまでの考え方や恵まれた生活に背を向けて歩き始めた。

寺院の鐘と巡礼の足音を伴奏に、私達の音楽は祈りとして、賛美として、目に見えない世界への懸け橋として、そこで生まれた。

そこで発明・制作し始めた楽器が、私達の音楽を実現してくれた。 そこで聴いた路の楽人のおかげで、音楽の魔法をもう一度、信じられるようになった。

Bowus – Quartus
“Bowus – Quartus”
ボウアス - クォータス サンプル
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けれども私達の愛する町は、現代社会の攻撃に為す術が無かった。 車が増えるにつれ、血染めの切り傷を横腹に負う牛が多くなった。 路上で商う人々はしつこい咳に悩まされ、サルは苛立ちやすくなり、夜、女性の一人歩きはもはや安全ではなかった。

そして初めは驚異の源だった、ヴァラナシの古典音楽界も崩壊の一途をたどっていた。 先生方はもう自分では信じないことを説き、彼らも大都市のスーパースターも先代の技倆を持たず、かつて私達をインド音楽の虜にしたような離れ技は、誰にもできなかった。 あんまりつまらないから、コンサートへ行くのを止めた、インド古典音楽は私達の目の前で息を引き取ろうとしていた。

1998年になると、自分達の周りで起こっていたことへの不満、デング熱、マラリヤ、慢性の気管支炎や下痢が、ついに私達をインドから追い出した。 でも時と共に不快な記憶は薄れ、今思い出すのは、私達が心から尊敬するようになった、ごく普通のインドの人々や、聖なる河へ降りる巨大な石段を照らす、黄金の朝陽。
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現代社会に戻って

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アメリカに帰って間もなく、「新しい」はずの音楽が、いつか何処かで聞いた様なものばかりだと私達は気付いた。 ポップは60~70年代の焼き直し、即興でなく学んだジャズは安全で臆病だった。 インドの後では、衰退の兆しを見て見ぬ振りはできない、ここでも音楽は魔法を失っていた。 「世界は一つ」と言う気高い夢が、不気味な悪夢となり果てたのだった。

それに輪をかけて、子供の頃から聞き慣れた音楽は本当に、昔思ったほど素晴らしいのだろうかと疑い始めた。 注意して聴くと、傑作と定評のある作品も、あんなに好きだった音楽も、ほとんどが期待外れ。 どうして気付かなかったのだろう。

もっと現実的な面では、自分達の弱い立場をひしひしと感じていた。 専門を絞らない私達は、幅広く色んな事をこなせるが、自分を売り込む為の資格なしにどうやって自活して行けるのか。 どちらを向いても暗雲が垂れ込める、最初の借家には格安の、可愛いがくたびれた、ぼろトレーラーしか手が届かなかった。

古い友人達は、人生とは何かを悟り、満足していると口では言うものの、内心失望しているのは明らかだった。 金はたっぷりあるのに、自分に何が必要か知らず、それを自身に与えることもできない。 そして何もかもやたらにでかい、車もクッキーも人間も。
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今、私達の音楽は

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今なお祈り、目に見えない世界への懸け橋、私達が奏でているのは、オープン、無邪気、流れる、怖れ知らず、楽園を追われる前の音楽。

背を向け合い、2メートル半離れて、思い思いの世界に浸る。 一人は大きな木彫りのガネッシュ、もう一人は反対側にある本棚に立てかけたシヴァの額の前で。 ドウターラ と ボクサスクォータスの、アンプを通さない音はごく静かで、二人ともかつてないほど、集中して聴いている。

楽器を取り出す毎に新しい冒険が始まる。 何が起こるか全く予想が付かない、計画も練習も、リハーサルも学習もしない。 目は半ば閉じ、耳を澄ましていると、やがて頭が空になり、魔法の世界が開ける。 一つの音が自然に次の音を生み、二人の間を行ったり来たり...

普通とはかけ離れた音楽のやり方、うまく行く筈がないが、音楽はやって来る。

「楽音」と呼ぶには複雑過ぎる音、思いがけない音でも問題にならない、まとまりたい、ぴったり収まりたい、そんな音達が織りなす音楽。

楽器を伴奏に言葉のない歌、ヴォーカブルもする。 イヌイット族の喉歌ではなく、ヨーデル、ジャズ歌手のスキャット、タブラの伝統的な口真似でもない。 もし誰かが聞いていたら、とても歌う勇気のない、型破りを超えていながら喉に優しい音、音楽を味わい深くし、楽器の演奏に形を与えてくれる音。

満足できる、かけがえのない、魔法に満ちた大人の音楽、また録音しようとして殺してしまうのが怖い

Work In Progress

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三つ目のCDを終えた後、7年もの間、音楽を失ったから。

ありったけの力を注いだのに、ほとんど誰も気付かず、私達の歩みはそこで止まった。

でも我ながら、何てすごい音楽を録音したことだろう!

Work In Progress を聴くと、感無量になる。 あれが私達? 本当に私達があの音楽を?

既存のどのジャンルにもすんなり収まらない、余りにも違う音楽。

ミニマリスト、コンセプチュアル、ミュージック・コンクレートではない、アヴァンギャルド、調性/無調/12音音楽でもなく、アンビエントや、エレクトロ・アコースティック、サウンディングズでもなく、ビバップでも、フリージャズでも、エスニックでも、フュージョンでも、サイケデリックでも、ニューエイジでも、スペースミュージックでも、ラップでもない...

ひそかに過激だが、斬新と言われる音楽を特徴付ける性質は、持ち合わせない。

荒っぽい、実験的、やかましい、せわしない、不協和、耳障り、甲高い、繊細な苦悩に溺れた音楽でもなければ、世の中をおぞましく粗野で機械的、不公平と感じる、そんな気持ちを反映した音楽でもない。

マニフェスト風になすべきことを指さすのでもなければ、将来改善されるべき、荒削りな初めての試みでもない。

むしろ長い歴史と伝統が産んだ、自信あふれる作品の如く、優雅で清らか、磨き抜かれているから、真新しい音楽のようにも聞こえない。

けれどもこのCDを制作した頃の私達は、怒りに焼き尽くされ、疲れ果て、不安におののき、次々と友人を失っていたから、自分でもつじつまが合わないと思う。

でもどこから来たにせよ、音楽は現にある。 平和で安らか、深く落ち着いた、心地良い、変わり続ける、静寂に満ちた...

今ここに流れている、そしてこのサイトで、他のページにも流れる音楽。
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創作楽器

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私達がインドで自分の楽器を初めて作った時から、それは思考を止め、緊張をほぐし、我を忘れる為の道具であった。

それは今も変わらない。

楽器達は大きく精巧になり、時にはアンプを通して弾くこともある。 でも彼らと共に私達が探しているのは、時が止まるあの瞬間、忘我の境地、より浄く平和な世界への扉。

売り物じゃない、私達が手間ひまかけて楽器を作ったのは、ただその楽器を弾きかったから。

一つ家庭で、私達の音楽と肩を並べて育った兄弟、自作の楽器は私達にとって、野生の魂を持つ魔法の相棒、しつけの行き届いた家来ではない。

音符に書ける音だけを出すように設計されていない、風変わりな倍音で音色には癖がある、彼らの豊かで複雑な音は、全てあるがままに受け容れるしかない。

私達のや緩く張ったガットは、いつ何時予想を越えた振る舞いをするか分からない... キイキイ鳴く、叫ぶ、呻く、飛び跳ねる、轟く... それが彼らの魅力、彼らの取り柄。

私達の鍵盤楽器、野性的な「クォータートーン」に調律したカリンバでさえ、長年の習慣とは相性が悪い。 一つ置きのキイを無視しても、普通の音階や和音を弾くのは不可能だから。
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自分でも気が付かないまま、ずっと探し求めていたもの。 耳にするほとんど全てに失望した私達は、根底から違う音楽だけを奏でる楽器が欲しかったのだ。

自分の歌いたい音で音楽してくれと言い張って譲らない楽器、記憶よりも聴くことを重宝する、思考よりも感じることを大事にする楽器。

今、そんな楽器が私達の手元にある。

しょき、ドウターラとベイスボウアス、ボクサスとボーダスクォータス。

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午後のお茶

4 P.M.
仕事はお終い
急須を満たす濃い緑茶
ハイソンか煎茶
お供には手作りの
パンプキンブレッド
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