“Hollow Tree Experimental Music Report” Sweet Heresy レビュー

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2006年3月25日付、Zenoのレビュー:

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Hollow Tree ウェブサイトの一つの重要な前提は、西洋における娯楽が深く広範囲の変化を経験しつつあると言うことだ。 トップダウン式の、中央集権的で規格化された娯楽業界の衰退に、誰もが少しずつ気付き始めている。 今あるものに代わってフォーク風の、自ら方向を定めようとする娯楽の時代が生まれつつある。 芸術ー音楽、芝居、物語、等々ーは不可思議な努力の結晶であり、現実からの逃避としてよりは現実の創造にずっとふさわしいと言うことを、意識的にせよ無意識にせよ、知っている人達によって、そしてそんな人達の為に。

エレキギターのソロの様な、工場生産の中途半端なハイテク加工品の日々は間もなく終わりを告げ、その時私達は現代の吟遊詩人達の、ハイテクでローテクの、風変わりな個性の奇跡をもっと楽しむことができるだろう。 自分で発明した手作りの楽器を演奏し、家庭用のコンピューターで音を操る吟遊詩人達の。

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私達がこの前提を明確に表現しようとしてしばらくになるが、今まで満足の行く結果はほとんど得られなかった。 幸いまるで神に導かれた如く、ニューメキシコ州のタオスで音楽創りに携わる二人組、Untravelled Path ( 未踏の道 ) に足を踏み入れることとなった。

この二人組は、全く新しい音楽を創り出そうと、楽団ができる程の楽器 を発明制作する。 これらの創作楽器には、ボウアス、カリンバ、そしてしょき族が含まれる。 Untravelled path はこれらの楽器を自宅で即興演奏し、録音した演奏を 「雑草を引く」 テクニックを使って編集する。 Untravelled Path は人前では演奏せず( 彼らが我々の 「新しい吟遊詩人」 前提の完璧な例である中で、唯一の例外 )、既存の記譜法も使わないし、追い払わなければならない程スカウト担当者に悩まされている訳ではもちろんない。

彼らの 非常に面白いウェブサイト は、良くある「 私を見て! 」 調のマイスペース風ナンセンスをはるかに超え、めったに話題に登らない事柄を異例の洞察力によって掘り下げて行く。

ほんの1~2ヶ月前、技術的に進んでいるとは言えないが、極めて興味深い彼らのウェブサイトをこの場で紹介したところ、Untravelled Path のメンバーは、親切にも彼らの二枚目の、そして最新の CD “Sweet Heresy” を送ってくれた。

このディスクには六つ曲があり、その内三曲は10分以内、残り三曲は12分程である。 それぞれの曲に二つの楽器の音が含まれ、一つはアーサーが、もう一つは光子が演奏する。

このCDが郵便で届くとすぐに、私はいつものように、目に留まる限りのあらゆるプレーヤーでかけてみるテストを実施した。 聴き始めて間もなく、この CD の音楽の多くがとても静かなので、普通の大きさの部屋いっぱいに響かせるにはボリュームをかなり上げなければならない、と言う問題に気が付いた。 Untravelled Path 自身がウェブサイトで、自分達の音楽を 「ゆっくり、低音、変化に富んだ」 と表現しているが、問題は極度にゆっくりで低い音が音量を最大限上げたスピーカーをごろごろ鳴らし、部屋中の物を振動させた時に起こった。

しかし私にはこれを芸術家の非とする気はさらさらない。 それどころかむしろ魅力だと思う。 Untravelled Path は、彼らの音楽をかける為には誰かが全く新しい類の音響システムを考案しなければならない所まで、この堕落した世界の枠から飛び出そうとする努力をしたのだった。 “Sweet Heresy” の音色は、ロックやヒップホップ、そして西洋クラシック音楽とはほぼ正反対であるが、現存のステレオはこれらの音楽が良く聞こえる様に造ってあるから、とことん圧縮された音でなければ、或いは音量に対して独自のアプローチを取るものは、こうした機械では扱い切れない。

テストの第二段階には昼寝が伴った。 Untravelled Path がウェブサイトで、彼らの音楽は人が眠りにつくのを助けると言うので、試してみることにした。 音楽が眠気を誘うのに良いと言うと、普通は侮辱に値する。 人を眠りに導く音が一般に、退屈で、変化がなく、あまり刺激的でないからだろう。 “Sweet Heresy” はそんなものでは全然ないが、微妙な音楽なので、集中して聴いて初めて刺激を感じる。 この CD を、表面的な聴き方ができるように環境音のレベルでかけると、車の通る音や時折ズシンと鳴る音、叫び声等の、要らない音は確かに CD がカバーしてくれる。 この処、私は夜働いて昼間眠っているから、このテストでカバーするべき外からの騒音は十分あった。 でも反面私は眠るのがかなり上手な方だから、おそらく金づち工場の中でも眠れるだろう。 その点では、自分を良い被験者とはとても言えない。

それでも善き旧友、昼寝に備えて枕を叩いてフワフワさせると、私は扇風機が回る中でこの CD をかけた。 最初の曲が終わる前にうつらうつらし始め、満足に休息が取れるまで私は目を覚まさなかった。 寝苦しくて寝返りを繰り返したとか、不快な夢など、この音楽を睡眠中にかけた為に悪い影響があった記憶は全く無い。 従ってこの CD をノイズカバーとして推薦できるが、このような使い方がこのディスクの主な価値だと私は思わない。

三番目の、そして最後のテストとして “Sweet Heresy” をヘッドフォンで聴いてみた。 ここで初めて私はその音楽をまともに味わうことが出来た。 私が悟ったのは、この音楽はメロディやハーモニー、リズムその他の私達が普通の音楽で聴き慣れているものとは関係無い、と言うことだった。 この音楽を理解し始めるには、音楽を構成する音の、ほとんど体で感じる様な肌触りを楽しむことが必要なのだ。 前述のメロディとか言ったものは、Untravelled Path の作品に存在するかも知れないし、しないかも知れないが、それは主なる要素ではない。 一つの音波にもう一つの音波が重なって起こる、きしみやいびきの様な音、余韻や跳ね返りが、この音楽を耳に心地好いものにしている。

けれども感触のある音楽は、決して新しいものではない。 事実、文化によっては太古から存在する。 ここで新しいのは、音階による調律やメロディ等、ヨーロッパの伝統的な音楽的概念を、肌触りや響きと組み合わせたことだ。 ちょうど Untravelled Path 手作りの楽器が、伝統的な楽器を彼ら自身の目的に合うように誂えた変種であるように、彼らの音楽もまた、高い創造性に富むと同時に、人類の長い音楽工芸の歴史とは明らかに切っても切れない関係にある。

しかしながら、広く収集した部品から創造されたものは、最も優れた部分の良さや最も新しい組み合わせのスリルよりも、全体の平均値によって判断されることの方が多い。 この、何でも屋には何一つ秀でた所が無いに決まっていると言う考えは、20世紀の精神が21世紀の芸術にまで持ち込んだ誤信である。

Untravelled Path がウェブサイトで1ページを丸々割いて、自分達が何故 「 専門化しない 」 ことを誇りに思っているかを説明しているのも、不思議ではない。 出現しつつある新しい世界では、専門を特定することが間もなく時代遅れになると、彼らは知っているからである。

或いはロバート ハインラインの言葉を借りると:

「人間はオムツを換え、侵略を企て、豚を屠殺し、船舵を操り、建物を設計し、ソネットを書き、帳尻を合わせ、塀を建て、接骨し、死に行く人を慰め、注文を取り、指示を与え、協力し、単独行動し、方程式を解き、新しい問題を分析し、肥やしを掘り返し、コンピューターをプログラムし、美味しい食事を作り、効率良く戦い、勇敢に死ぬべきだ。 専門化は虫けらにこそ相応しい。」

人類はその順応性故に、つまり変わり続ける環境に効果的に反応する能力によって生き延び、栄えてきた。 今まさに私達の文化は速く、しかも激しく変わりつつある。 過渡期が終わった時、生き延びたものはきっと Untravelled Path の音楽に似ているだろう。

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ありがとう Zeno !!!

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